中学生の頃でした。
家系図を書いてみましょうという単元の授業がありました。
頭が良いとか悪いとか、そういう問題じゃなく、私は書けずに腕を組んで悩んでその時間を終えました。
私が育った家の祖父が亡くなった後でした。
その頃は、今ほど相続だの口座の凍結だのが厳しくなかったように思えます。
一通りのバタバタが終わって落ち着いてから母に「葬式の時にあそこに座ってたおばちゃんは、どこの誰だったの?初めて見たから誰だか解らなかったんだけど。」と、問いました。
すると、母も初めて見たから解らないと返事をしました。
父が、亡くなった祖父の名義になっていた土地や家の名義を変えようと市役所に出掛けました。
帰って来た父が「知らなかったけど、親父、バツ2だった。前の結婚で子供がいるんだと。その人が、私は相続しませんって証明書書いてくれないと手続きできないそうだよ」
そうなの?知らなかった!
存在を知らず、会った事もなくても、相続の権利があるのです。
親がしたことなので、どうやって調べたのかはわかりませんが、顔も知らない私のおばさんに当たる人の住所を調べて、手紙と書類を送り、相続放棄をして貰ったようでした。
何となく気になって「おじいちゃんのお父さんのお墓はどこにあるの?」と、聞いてみました。
そしたら、祖父母は父の養父母で、父の実の父親は戦後の混乱期にブラジルの開拓をすると移民してしまい、そのまま消息不明だそうです。
あれ?
私がした質問とはズレてるけど、それはそれで衝撃じゃない?
そう思ってしまいました。
何故、消息不明のままなのかを聞くと、「兄貴が、取り合わないから。」今回の件で解ったけど、きっと伯父は相続の難しさを知って、そのまま、解らないけどきっと生きてるって事にしてしまっているんだろうと思いました。
祖母がアルツハイマーだと宣告されました。
昼と夜が解らなくなり、私の名前も怪しくなってきましたが昔の話は割と良く覚えているようでした。
「おばあちゃん、おじいちゃんの名前は、なんだったっけ?忘れちゃったよ」と、本当はちゃんと記憶している祖父の聞いてみました。
「たろうさんはね、私が嫌ったの。私が、たろうさんを嫌いになったから、帰ってもらったの」
あれ!?
おばあちゃん?それ、おじいちゃんの名前じゃないですよ。
しかも、それって、おばあちゃんもバツあり??
祖母名義のものは僅かな年金が振り込まれる通帳だけです。
今回は、内緒のバツありが解ってしまっても、混乱はなさそうです。
中学生の頃に家系図が書けなかった理由は、「おばあちゃん」と呼んでた女の人が3人居たからでした。