習い事から趣味へ~墨の香りの中で~

子供の習い事と言えば、ピアノ、バレエ、そろばん、スイミング、お習字・・・。
最近では英会話やダンスなど、私の幼少期とは様子も変わってきているようです。

私も幼い頃はピアノとお習字を習っていました。
大人になってからもピアノはストレス解消程度で弾き続けていますが、趣味の範囲を超えないので、人様に聞かせられるような腕ではありません。

お習字に関しては、厳しかった父に無理矢理連れて行かれたのが始まりで。
その後もイヤイヤ通っていたので、ピアノのように夢中になる事はありませんでしたし、身に付いたかと言われると・・・正直返事に困ります。自信など一欠片もありません。習い始めて5年が経った頃には、私も中学生になっていて、部活やらなんやらで忙しくなり、通う事が難しくなったことを言い訳に、やめてしまいました。

それが、二年程前。
親しくしていた方がお習字の先生で、お話ししている中で、お習字をやってみないかという流れになってしまったのです。続けられる自信も、上達したいという欲求もありませんでしたが、今更断れない・・・という感じで、週に一度通い始めました。

二年経った今、私の上達度は別として。父親に無理矢理させられていたあの頃とは向き合う姿勢が違っているのは確かです。
「こんな字を書きたい。」「ここはもう少しこうしたい。」という目的を持っていて、硯に向かう時間はとても心地良いです。今は習い事ではなく、趣味という捉え方をしているからかもしれませんね。

継続は力なり。

先生にもそう励まされ、与えられる課題をクリアする為に何枚も書きます。不思議なもので、書けば書く程、自分の中の納得出来るラインが上がって来るのです。時間の制限などもあり、仕方なく妥協した作品を提出する事もありますが、そういう時はやっぱり悔しいです。
努力した分は字の中に反映されていて、「最後にもう一枚!」と書き直した作品は、先生の評価も高かったりするのです。最後まで諦めないという事でしょうか。その結果は次の励みになって行きます。
上手く書きたい余り、作っていく字の書き方をした時は、線にその裏側の感情がそのまま出ているようで、呆気なく先生に見破られてしまいます。
大抵は「もう少し素直に書いてみて、自分の思う通りで良いから。」なんて、優しく諭されたりして・・・。
字って、本当に素直なんですね。

大人になって、趣味の一つとなったお習字ですが、入り口は子供の頃と同じ。向上心も、自分の意志さえもありませんでした。
しかし、楽しさを知った今と幼い頃の私とでは、その中身は全く別物です。
「あの頃から真面目に向き合っていれば良かった。それなら、今どれ程上達していただろう」・・・なんて仕方のない事を思ってしまったりもしますが。
その後悔も今の私を支える一つなのかもしれません。

年を重ねた分、余裕が出来、その価値に気付いた上で、自分磨きのスキルを得る事に楽しさが足されれば、夢中になれるのも当然です。
何にせよ、あんなに苦痛だった「お習字」が、まさかこんな形で「夢中になれる物」になるとは。驚きと共に私の記憶の片隅に残った強引だった父に感謝するのです。
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